親の抑圧や期待に応えて生きてきた人ほど、まじめで、優しい人が多いと感じています。
言われたことを考え、空気を読み、波風を立てないように振る舞ってきた。
ただ、それは決して間違いではなく、むしろ必要な「生きる知恵」だったはずです。
それでも、親から離れ、自由になったはずなのに、なぜか内側が苦しい……。
「自分がない」「本音がわからない」と感じてしまう……。
もしそんな感覚を抱いているなら、それは悪いことでも間違いでもありません。
実は多くの人が同じところでつまずいています。
この記事では、親の抑圧や期待から離れてからも、なぜ自分の「内側」が苦しく感じられるのか。
その理由をゆっくりと整理していきます。
親の抑圧や価値観がいつの間にか自分の「内側の声」になっている

親の抑圧や価値観は子どもにとって「正解」になりやすい
子どもにとって、親から与えられる抑圧や価値観は、非常に影響力の強いものです。
言ってしまえば、親の言うことは子どもにとって「正解」になりやすいものとも言えます。
「子ども」と「大人」の違いのひとつは、物事を自分で検証できるかという点にあります。
選択肢も広がり、選ぶ自由を得た大人とは異なり、ほとんどの場合において子どもは一定の制限下に置かれています。
それは親や大人が子どもを守るためで、「正しい道」を歩ませるためでもあるのですが、子どもはその与えられた「道」が正解なのか正解でないのかを判断する術をあまり多く持っていません。
親から与えられる言葉は「きっと、おそらく正解」のものであり、子どもが生きていくためには自然に受け入れていくものでもありました。
もしかすると、親からの抑圧や期待に悩んでいる方の中には、どうしてあそこで「黙って従う」選択肢を取ってしまったのかと悔やむ方もいるかもしれません。
ただ、この点だけははっきりとお伝えしておきます。
当時のあなたが抑圧や期待に「従ってきた」ことは、決して間違いでも、自分が弱かったということでもありません。
子どもの頃のあなたにとって「従うこと」は、当時の「正解」に適応していくための賢い選択で、決して責められるべきものではありません。
そして、その「正解」が、成長した今の自分に息苦しさを残していることも、決して不自然なことではありません。
親の抑圧や価値観は「安心」と引き換えに「内側」に入り込む
親の抑圧や価値観は、「安心」や「平穏な生活」を求めるうちに、自然と内面に入り込んでいくことがあります。
まだまだ様々な保護が必要な子どもにとって一番大切なのは「毎日を安心して過ごせること」です。
自分にとっての「正解」を導き出してくれる親の機嫌や反応・評価は、多かれ少なかれ「平穏な生活」に直結する非常に大事なものでもあったはずです。
自分の起こした行動や判断が親の期待に応えられると、受け入れられ、あるいは褒められ、安定した関係を築くことができます。
一方で、期待にそぐわない行動を起こすと、平穏な日常に緊張や不安が入り込むこともあります。
そうこうしているうちに、体は自然と、より安心できそうな選択を優先するように適応していきます。
親の抑圧や価値観に沿うことで、子どもは日々の安心感と平穏を得ていくのです。
これは決して誰かが悪いと言っているわけではなく、思考を統制されたというような話でもありません。
これは、子どもが自分の置かれた環境に合わせて身につけた「平和に生きる知恵」で、人間が本来持っている能力とも言えるでしょう。
そしてこの「生きる知恵」こそが、次第に自分の「内側」の判断基準として定着し、性格や行動規範、嗜好を形作っていくこととなるのです。
「自分で選んだはず」なのに何か違和感が生じる理由

自分で考えて選んだはずなのにどこか納得できない。そんな違和感を覚えたことはありませんか?
ここからはそんな違和感の原因、理由について解説していきます。
「自分で選んだ」という実感が持てていない
こんな感覚を覚えたことはありませんか?
- 自分で選んだはずなのになぜか納得できない
- 自分で決断したのになぜか手応えがない
- 自分の選択で成功してもなぜか満たされる感覚がない
これまで触れてきたように、親の言葉や期待は、子どもにとっては平穏な生活を歩むための「正解」です。
ただ、大人になり、自分で自由に正誤の検証ができるようになったあなたにとっては、この「正解」がときに息苦しさを与えてしまうことがあります。
そうなると、何をしてもこの「正解」が頭をよぎってしまう、まるで自分の人生ではなく他人の人生を歩んでいる感覚を覚えてしまうこともあります。
ただ、これは不自然なことではありません。
「何もかもを理解し合える他人」にめったに出会うことができないように、子どもの頃に定着した「正解の基準」と、大人になったあなたの価値観がぶつかり合うのは、ごく自然に起こり得ることだと言えるでしょう。
子どもの頃からの「正解」と今の自分の「正解」が異なっている
では、なぜ自分で考えて選択をしたはずなのに違和感を覚えるのでしょうか?
これは、子どもの頃からの「正解」と今の自分の「正解」が異なっていることに原因があるかもしれません。
私たちは自分でも気づかないうちに自分の内側に「判断の物差し」を持っています。
その「物差し」は物事の判断をする際に役に立つものですが、困ったことに、必ずしも今のあなたに合ったものとは限りません。
今のあなたの手に合った「物差し」とは限らないため、ときに今のあなたの考え方とぶつかってしまうことがあります。
たとえば、1mm単位で正確に長さを測りたいのに、持っている物差しが10cm単位の目盛りしか書かれていないと、正確なミリ単位での長さを測ることは難しいですよね。
意識や心においても、同様のことが起こり得ます。
「本当はこう考えたい」と内心で思っていても、子どもの頃からの「正解の基準」の形がその気持ちに沿ったものではないと、どうしても自分が望む形で物事を捉えることは難しくなってしまうのです。
違和感はかつての「正解」と今の判断が噛み合っていないサイン
かつての「正解」と今の自分の「正解」に隔たりがあると、自分の選択が間違っていたのではないかと感じてしまうことがあります。
これは決しておかしなことではありません。
自分の内側にある「正解」から外れた判断をすると、どこか気持ちの悪い感覚を覚えてしまうのはごく自然なこと。
ですが、違和感があるからといって、今の自分のその選択が失敗や間違いだったとは限りません。
子どもの頃のあなたと、今のあなたは違います。
当然、子どもの頃の「正解」と、今のあなたの「正解」が違っていてもおかしなことではありません。
大事なのは、今のあなたが「何か引っかかりを感じている」、違和感を覚えているという事実です。
これは紛れもなく、今のあなたの「内側」が正常に反応している状態だという証拠です。
今の時点では、この違和感があるという事実を知るだけで十分です。
なぜ本音がわからなくなっていくのか

2章では「自分で選んだはずなのに違和感が生じる理由」について見てきました。
この違和感が続いていくと、そのうち「自分は何を感じているのか」が分からなくなっていくことがあります。
ここからは、そんな「本音」が分からなくなっていく背景にあるいくつかの経験について触れていきます。
本音を出したときに否定された記憶が残っている
まず挙げられる大きな理由が、本音を出した結果、否定や無視、不機嫌な感情を向けられた記憶です。
これには実際の行動を伴わない、いわゆる「そういう空気」も含まれます。
初めは表に出すことができた「本音」も、そういったネガティブな感情が反応として返ってきてしまうと、次第に心の奥底に塞ぎ込みがちになってしまいます。
この記憶は決して何度も必要なものではなく、一度でもあれば十分に記憶に刻まれてしまうことがあります。
ある意味では、本音を出すことが少しずつ「危険な行為」であるという認識を持つようになったとも言えるかもしれません。
我慢することが「正解」になっていった経験がある
本音を抑えて我慢をすることが「正解」になったという経験も挙げられます。
自分が我慢することで褒められる、あるいは怒られない、空気が悪くならない。
子どもにとって「平穏な生活」を作り出すためのそんな合理的な選択が、ときに本音を分からなくさせてしまうことがあります。
間違えてはいけないのは、この我慢は決して「悪」ではなかったということです。
当時のあなた、あるいは私たちにとって、その行動は生存戦略のひとつであり、必要な知恵でもあったのです。
ただ、その生存戦略に基づいた当時の「正解」が、今のあなたが求める考え方や価値観とはズレているということなのです。
「感じない」ことで自分を守ってきた時間がある
そういった我慢の経験があると、「感じない」ことを戦略的に選ぶことがあります。
これは無感覚になるということではなく、本音を感じることを一時的に止めた状態になるということです。
自分の「平穏な生活」を守るために、心の中にある本音を表に出さず、むしろそれを感じないように過ごしていく。
本音がわからなくなったのは、それだけ長い間、自分を守ってきた時間があったということでもあります。
親の抑圧と自分の「内側」の問題は別に考えていい

親の影響が大きかったことは疑いようのない事実
ここまで色々とお伝えしてきましたが、やはり親の言動や価値観が今のあなたの価値観や人格形成に影響を与えているというのは間違いありません。
そして、子どもは生活していく環境を選べないというのもまた事実です。
私たちも、もちろんこの事実を否定するつもりはありません。
ただ、自分が感じてきた生き苦しさの理由を少し整理して捉えてみることが、ときにいまの自分を理解する手がかりになることもあります。
「親のせいだ」と思うことで守られてきたものもある
少し強い表現になりますが、親の抑圧を強く感じている方は「親のせいだ」と考えることによって自分を保ってきた経験があるかもしれません。
そうすることで何かあっても自分を責めずに済むためです。
ただ、私たちはこの経験や考え方も決して悪いものではないと考えています。
これは、子どもの頃からの「正解」と今の自分の価値観との差で苦しむあなたが、それでも日々を生きていくために必要だった考え方です。
一種の防衛本能と言っても良いかもしれません。
「平穏な生活」を歩んでいくために必要な考え方であっただけで、これ自体は「悪」でも「否定されるべきもの」でもないと考えています。
ただ、その考え方がずっと中心にあると苦しくなることもある
「親のせいだ」という考え方自体は必ずしも変える必要がありません。
ただ、ふとした瞬間にこの考え方が重くなることはないでしょうか。
何か悪いことがあったときに「また親のせいだ」という考えが頭をよぎったり……
親と似たような選択や考え方をしたときに気持ちがざわざわしてしまったり……
何かあるたびに親の影がちらつく……。
そうやって考えているうちに、なんとなく気持ちが重たくなってしまうこともあるかもしれません。
親をどう評価するかと自分の「内側」を見ることは切り離せる
この「親の抑圧」というテーマに関して私たちがとにかく言いたいのは、親を許す必要はないということです。
親の抑圧を感じてきた方にとって、ときに親は怒りの対象にもなり得ます。
許せないという強い感情を持っている方もいます。
でも、それでもいいんです。
親を許さなくてもいい、親に怒りを感じていてもいい。
距離を取っていたっていい。
親に対する感情を無理に改めたり、感情を好転させる必要はありません。
それでも、「今の自分の内側」を見つめることはできます。
子どもだった頃、親の言葉はあなたの「正解」でした。
ただ、大人になった今のあなたの「正解」は、間違いなく今のあなた自身が導き出しています。
視線を内側に戻すというもう一つの選択肢
「親を主語にしない時間」という考え方があります。
これは「まず自分はどう感じているのか」という、抑圧された本音や自分の内側を見つめる考え方です。
人間の脳には「第三の目」と呼ばれる松果体という器官があります。
この松果体は、物を見るための両目である「第一の目」「第二の目」とは異なり、「物事の内面や本質を見つめる」象徴的な目としての役割を担っていると考えられています。
私たちはこの松果体を「開花」させることを通じて、人間が本来持っていた「内側の感覚」や「本音」を取り戻す手がかりを探っています。
もちろん「内側」を見つめ直す選択肢は他にもたくさんあります。
ひとまずは別の視点も存在するということを頭の片隅に置いておくだけでも良いでしょう。
それが、いつか進むべき道を迷ったときの道しるべになるかもしれません。
失った「内側」や「本音」は少しずつ取り戻せる
今回一番お伝えしたかったのは、親の抑圧や期待に応えてきたことはあなたの弱さではないということです。
あなたが自分の内側や本音を表に出さずに生きてきたのは、「平穏な生活」を送るための知恵だったとも言えます。
今このページを読んでいるあなたは、きっと今の状況に何か思うところがあるのだと思います。
親の抑圧に悩んでいるのか、あるいは克服しようとているのか。
ただ、いずれにしても、人間が本来持っているはずの「内側」や「本音」は、たとえ遠ざかっていても少しずつ取り戻していくこともできるものだと私たちは考えています。
私たち「松果体開花研究所」は、松果体を通じて、そういった「内側」を取り戻すことを目指しています。
あなたがいつかまた悩んでこの記事に戻ってきたとき、この記事があなたの新しい選択肢のひとつになることを願っています。


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