人と会うと疲れるのは無意識の「役割」が原因?本音と松果体の関係についても解説

人間関係

人と会ったあとに妙に疲れを感じたことはありませんか?

とくに嫌いな相手と会っていたわけでもなく、会っている最中もそれなりに楽しく過ごせていたはず……。

それでも、その帰り道やあるいは一人になった瞬間に、なぜかどっと疲れが押し寄せてくる。

特別嫌なことがあったわけでもないのに起こるこの現象に出くわして、

「自分は人付き合いが苦手なのだろうか」
「人とうまくやれていないのではないか」

そんな感情を抱いたことはないでしょうか。

今回はそんな「人と会ったあとになぜか疲れてしまう理由」について解説していきます。

人と会ったあとに疲れるのはなぜ?

無意識に「役割」を演じていることがある

誰かと会っているとき、私たちは思っている以上に多くのことを同時に処理しています。

相手の身振り手振りや表情をから空気を読み、その相手に合った話題や話し方を選んで、場の流れを崩さないように調整する。

そういった動きは、意識していなくても無意識のうちに自然と行われていることが多いものです。

もう少し具体的に言うと、たとえばこんな動きです。

  • 場を和ませる人として振る舞う
  • 相手に合わせてテンションを調整する
  • 会話が途切れないように気を配る

こうした行動そのものは、決して悪いものではありません。

むしろ、他人との関係を大切にする中で身につけてきた、コミュニティの中で生き抜く大切な力であり、「役割」であると言えます。

ただ、この「役割」を演じている時間が長く続くと、自分の意識はずっと外側に向き続けてしまうことになります。

その状態が長く続くと、一人になって「自分」に戻った瞬間、ぴんと張っていた緊張の糸がゆるんでどっと疲れが出てくることがあるのです。

「嫌われないようにする思考」が働いている

人と関わる時に「いま自分がどう思われているか」を気にするのは自然なことです。

その最たる例が「嫌だと思われてないかな…?」という考え方です。

  • 変なことを言っていないか
  • 相手を不快にさせていないか
  • 空気を壊していないか

こういった意識が強く働いているとき、私たちはコミュニケーションに対して、思っている以上に多くのエネルギーを使うことになります。

次々に浮かんでくる不安や想像に思いを巡らせながらも、それを表に出さないように会話をする……。

そうすると、心は常に糸をぴんと張ったような、ストレスのかかった状態となってしまいます。

疲れてしまうのは、ある意味当たり前のこととも言えるでしょう。

ただ、会話中にあれこれと意識をすること自体が悪いというわけでは決してありません。

「相手に不快な思いをさせたくない」という想いは、相手を大切にしようとしている何よりの証でもあります。

でも、その相手を思いやる気持ちが、あとから疲れとして現れてくることがあるのです。

本音と反応が少しズレていることがある

他に疲れの原因になりやすいのが「本音と行動のズレ」です。

たとえば、

  • 本当は少し疲れているのに、笑顔で会話を続ける
  • 本当は早く帰りたいのに、相手に合わせる
  • 本当は違うと思っているのに、場に合わせて同意する

こうしたズレは、周囲から見ればとくに問題なく過ごせているようにも見えますが、当の本人にとっては、意外なほどに負荷がかかっていることもあります。

「少し疲れている」
「早く帰りたい」
「本当は違うと思っている」

といった本心は、どれだけ反対の行動を取っていても、本人の心の底には残り続けるものです。

本音と行動のズレによるストレスは、無意識下で、静かに、確かに積み重なっていきます。

その積み重ねが、一人になった瞬間、ぎゅっと縮めたバネが一気に跳ね出すように、表に出てきてしまうことがあります。

その疲れは異常ではなく自然な反応

疲れは「無理をしているサイン」でもある

人と会ったあとに疲れを感じるのは、自分の何かが他人よりも劣っているからから、何かがおかしいからというわけではありません。

むしろ、

少し頑張っていた
少し気を配っていた
少し無理をしていた

そういった時間が確かに存在していたことを、体や心が教えてくれているサインとも言えます。

疲れを感じること自体は、決して悪いことではありません。

それだけ自分の中で何かを動かしていた、頑張っていた証でもあります。

一人になったときに疲れるのは自然な流れ

人と一緒にいるときは、どうしても意識が外側に向きやすくなります。

会話やコミュニケーションは、あくまでも相手がいるからこそ成り立つもの。
自分の「内側」だけではなく、「外側」にいる相手のことを見つめる必要があります。

内側を改めてゆっくりと見つめられるのは、相手と別れて、ふたたび一人になったときです。

その時になって、ようやく自分の内側の気持ちに寄り添う「余裕」が生まれます。

そして、そこで、

「あ、少し疲れていたんだな」
「思っていたより気を使っていたのかもしれない」

と、内側にかくれて見えなかった本音に気がつくことがあります。

見えなかったというよりも、気が付けなかったといっても良いのかもしれません

外側に向いていた意識が、内側へと戻る動き。
その過程と結果で、「疲れ」は、はじめて「疲れ」として感じられるのです。

内側に視線を戻すというもう一つの見方

ここまで、人と会ったあとに疲れてしまう理由について見てきました。

ただ、ここでひとつだけ大切にしておきたい視点があります。

それは「疲れるから人と会わないほうがいい」という話ではないということです。

人との関わりは、私たちにとって大切なものです。

誰かと話すことで安心したり、気持ちが軽くなったり、ときに新しい気づきを得たりすることもあるでしょう。

だからこそ、この「疲れ」という感覚を単純に「避けるべきもの」として扱うのは、もう少しだけ待ってみませんか?

続いて、人と会ったときの疲れを、もう少し別の角度からも見てみることにします。

疲れは「関わりすぎたサイン」とも言える

人と会って「疲れた」と感じるとき、その問題が必ずしも「人と関わることそのもの」にあるとは限りません。

先ほどから触れている「外側」という言葉を使うなら、外側に意識を向けている時間が少しだけ長くなってしまったというサインでもあります。

誰かに合わせること、空気を読むこと、思いやること。
これらは、そのどれもが大切なことです。

ただ、それがずーっと続いていると、どうしても自分の内側に目を向ける余白は少しずつ小さくなっていきます。

そして、一人になったときに、余白を一気に解放して内側へと戻ろうとする。

その意識の動きの中で、どっと疲れを感じてしまうことがあるというのは先ほどもお伝えした通りです。

ただ、これは「人付き合いが向いていない」というネガティブな話ではなく、

「外側に寄っていた意識が再び内側に戻ってきた!」

というポジティブな見方をすることもできるのです。

「内側」を見る時間が少しだけ必要になることもある

人と関わる時間と、一人で過ごす時間。

これはどちらが良い・悪いというものではなく、この二つは自然と行き来するものです。

ただ、どちらか一方に偏りすぎたとき、バランスを取り戻そうとする動きが生まれることがあります。

人と会ったあとに感じる疲れは、

「そろそろ自分の内側に戻る時間が必要なのかもしれない」

というサインのようなものとして受け取ることもできます。

もちろん、これは逆のパターンもあります。

人と関わる機会があまりにも少ないと、「誰でも良いから話を聞いてほしい!」と感じることもあるでしょう。

ここで大切なのは、いま感じているその気持ちを、無理やり感じないように変えようとすることではなく、「いま自分はどう感じているのか」という感覚に、改めて目を向けてみるということです。

松果体という「内側に戻る視点」

私たちは、この「内側に意識を向ける感覚」を象徴する言葉として、松果体という言葉を用いています。

松果体は、実際に脳の中心付近にある小さな器官ですが、ここではそれを特別な力としてではなく、

「自分の内側を見るための視点」

として捉えています。

誰かと会っているときは外側へ。
一人になったときは内側へ。

その行き来の中で、自分はどこで少し無理をしていたのか、どこで心地よさを感じていたのか、といった感覚に気づいていく。

その静かな視点のことを、私たちは松果体という言葉で表現しています。

疲れたあとにこそ気づけることもある

あのとき、少し頑張りすぎていたかもしれない
あの場面で、少しだけ違和感があったかもしれない

そういった小さな感覚は、忙しい日々の中では見過ごされやすいものです。

だからこそ、一人になったあとにふと訪れる疲れの中で、その感覚に気が付くことがあります。

ただ、この感情は、思い詰めるほど無理に分析するものでもありません。

ただ「少し疲れているな」と感じるだけでも、それは自分の内側に触れ、見つめ直している時間と言うことができるでしょう。

無理に変えなくてもいいという選択肢

繰り返しとなりますが、人と会うと疲れるからといって、人付き合いを減らさなければいけないわけではありません。

逆に、もっと頑張って慣れなければいけないということでもありません。

「今は少し疲れている」
「今日は少しだけ気を使っていたかもしれない」

と気が付くことがまずとても大切なことです。

少し休む時間をとることも、一人で過ごす時間を持つことも、どちらも自然な流れの中にあるものです。

何かを無理やり変える必要はありません。

たとえば、休まないで良くなるように無理やり思考を変えたり、一人の時間を減らして人と過ごすことに慣れさせたりなど、自分を変えてまで取り組む必要はありません。

ただ、外側に向いていた意識を、少しだけ内側に戻してあげる。
そして、その内側に戻ってきた意識を、あなた自身がしっかりと受け止めてあげる。

それだけでも、感じ方が少し変わることがあります。

おわりに

人と会ったあとに疲れるのは、あなたの何かが劣っているからではありません。

それだけ周りを感じ取り、その場を大切にしていたという思いを持っている、ということでもあります。

その感覚は、無理に消す必要のないものです。
相手を思いやる気持ち、慮る気持ちを消す必要はありません。

人と関わる時間も、一人で過ごす時間も、どちらもあなたにとって大切なものです。

その行き来の中で少しだけ自分の内側にも目を向けてみる。

それだけでもまずは大きな一歩になります。

疲れてしまう自分も、そのままでいい。

この世界には、そんな見方もあるということも、ぜひ頭の片隅で覚えておいてもらえればと思います。

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