アイデンティティクライシスは「物語」の終わりであって「自分」の終わりではない

人間関係

私たちは、気づかないうちに「物語」の中で生きています。

ペットの飼い主である自分。

役職者である自分。

誰かを支える自分。

その物語が止まったとき、自分まで消えてしまったように感じることがあります。

それが、アイデンティティクライシスです。

けれど、それは「壊れた状態」なのでしょうか。

それとも、物語の外に立っている時間なのでしょうか。

この記事では、「物語」という視点から、アイデンティティクライシスをやわらかく読み解いていきます。

アイデンティティクライシスとは何か

自分が何者なのか分からなくなる感覚

私たちは日々の暮らしの中で、気づかないうちに何かしらの役割を担っています。

この役割というのは、何も会社や学校だけに限りません。

・家庭の中での立ち位置

・趣味の集まりでの関わり方

・インターネット上での存在の仕方

さまざまな場所で私たちは「自分」というものを形作っています。

アイデンティティクライシスは、こうした役割が何かしらによって失われてしまったときに起こりやすい状態だと言われています。

自分にとって当たり前だった役割が失われるというのは、ときに人の意識に大きな影響を与えます。

それまで頼りにしていた足場が突然なくなったかのように、自分の立っている場所がわからなくなってしまう

「私はこういう人間だ」と自信をもって言えなくなり、自分が何者なのかがわからない

そういった心の状態が、アイデンティティクライシスと呼ばれる状態です。

アイデンティティクライシスは「壊れた状態」ではない

ただ、もしあなたがいまアイデンティティクライシスを感じているとしても、それは必ずしも自分という存在が「壊れた」ということではありません

自分という存在そのものが失われたのではなく、これまで頼りにしていた「何か」が揺らいでいるだけかもしれません。

私たちは、その揺らいでいる「何か」を、人がこれまで信じてきた「物語」ではないか考えています。

私たちは「物語」で自分を支えている

「私はこういう人間である」という物語

先ほども触れたように、人は気づかないうちに何かしらの役割を持っています。

たとえば、このような役割です。

  • ペットの飼い主である自分
  • 会社で役職に就いている自分
  • 誰かを支える自分
  • 何かに向かって頑張っている人間である自分

こうした役割は、単なる立場ではありません。

私たちは役割の中で日々を過ごすうちに、少しずつ「私はこういう人間だ」という感覚を育てていきます。

ペットと暮らしている人は「この子を育てている存在である自分」という感覚を持つかもしれません。

会社で役職に就いている人は「責任のある仕事を任されている自分」という感覚を持つかもしれません。

こういった役割は、単なる立場や肩書きというよりも、自分の中に静かに積み重なっていく「物語」のようなものです。

この「物語」の中で役割をこなすことで、私たちは自然と自分の輪郭を形作っているのかもしれません。

物語があるから未来が見える

「物語」があると、人は自然に朝を迎えられるようになります。

ペットと暮らしている人は「あの子に朝ごはんをあげなきゃ」と思い、起き上がります。

仕事がある人は「今日も仕事にいかなきゃ」と思い、起き上がります。

これは義務というよりも、「物語」の続きを紡いでいる感覚にも近いものです。

まだ完結していない「物語」があると、人はその続き、「未来」を想像することができるようになります。

明日の予定。

来月の自分の変化。

数年後の変化。

こういった未来は、きっとはっきりと見えているものではないでしょう。

それでも、先の見えない暗闇の中を進むよりも、遠くにうっすらと見える灯りを頼りに歩くほうが、人は不思議と安心できるものです。

このまま頑張ればこうなるかもしれない。

来年はこうなっていたい。

そんな「物語」を想像することで、私たちは自然と「未来」に向かっていくことができます

「物語」とは、私たちの世界を支える見えない枠組みのようなものなのかもしれません。

だからこそ、この「物語」が急に見えなくなったとき、私たちは足場が揺らぐような感覚を覚えることがあるのです。

「物語」が止まるときに心は揺らぐ

「物語」は必ずしも絶えず進んでいくものではありません。

それは、ときに突然止まってしまいます。

長年一緒に暮らしてきた存在との別れ。

長年勤めていた会社からの退職

当たり前だった役割の終了。

これからも続いていくと思っていた「物語」は、ある日突然、本を閉じるように止まってしまうことがあります。

紡いでいくはずだった「物語」が見えなくなると、それまで見えていた「未来」もぼんやりとしてきます

同じように明日がやって来るのに、その意味がどこか薄く感じられる。

予定はあるのに、どこか自分の人生を生きている実感が持てない。

自分という輪郭が少しあいまいになっている感覚がある。

これらは、「自分」が消えてしまったというよりも、自分を支えていた「物語」が急に見えなくなった状態なのかもしれません。

失ったのは「自分」ではなく「物語」かもしれない

「自分」がなくなったように感じるのは自然なこと

「物語」が止まったことで「自分」がなくなったように感じるのは決しておかしなことではありません

自分が「物語」の中でもっていた役割は、ときに自分そのもののように感じられることがあります。

ペットを飼っている人なら【その子の飼い主である人間】と自分

役職に就いている人なら【会社で部下に指示している社員】と自分

「役割」と「自分」は、気づかないうちに徐々に結びついていきます。

その重なりが強い人ほど、「物語」が止まったときの心の揺れは大きくなります

ただ、揺らいでいるのは、あなたが弱いからでも未熟だからでもありません。

それまで自分だと思っていたものが、急に見えなくなったように感じる。

それ自体は決しておかしなことではありません。

「物語」と、それを紡ぐ「自分」は異なる

「飼い主」という「物語」は終わることがあります。

けれど、その存在を愛した時間まで消えるわけではありません

「役職者」という「物語」もいつか終わります。

それでも、そこで積み重ねてきた経験や時間は無意味になるわけではありません

誰かを支える「物語」も、誰かと歩む「物語」も同様です。

「物語」そのものは終わることがあります。

でも、それを生きてきた存在そのものまで同時に消えてしまうとは限りません

もしかすると、揺らいでいるのはあくまでも「物語」であって、それを紡いできた「あなた」という存在そのものではないのかもしれません。

「外側」の物語と「内側」に残る感覚

役割や肩書きは外側から形づくられる

役割や肩書きの多くは、環境の中で形づくられていきます。

会社という場なら「社員」や「役職者」という物語が生まれ、家庭という場なら「親」や「子」「パートナー」という物語が生まれます。

これらは決して自分ひとりで完結しているものではなく、他者との関係の中で生まれるものです。

私たちは気づかないうちに「外側」にある関係の中で「物語」を紡いでいるのかもしれません。

物語がなくなっても消えない、人の「内側」に残る感覚

そんな「物語」を失うということは、言い換えれば「外側」で作られた関係性を失うということにもなりかねません。

自分を形作っていた関係を失うことで、自分を失うような感覚を覚える人もいるかもしれません。

ただ、「物語」が止まったからといって、本当に何もなくなってしまうのでしょうか

肩書きがなくなっても、

評価が消えても、

役割が終わっても、

あなたの「内側」にあるものが、完全に消えてしまうことはありません

物語が止まったとき、私たちは思いがけずその「内側」と向き合うことになります。

「物語」の外に立つという視点

「物語」と少し距離をとるという感覚

普段、私たちは「物語」の中に深く入り込んで日々を過ごしています。

飼い主である自分。

役職者である自分。

誰かを支えている自分。

物語の中にいるとき、私たちはそれを演じているというよりも、ほとんど役割そのものになっています。

だからこそ、物語が、役割がなくなったり揺らいだりしたときに、自分まで揺らいでしまいます。

ただ、物語が止まったとき、ほんのわずかに「物語」との距離が生まれることがあります。

いま、揺れているような気がする。

いま、自分が何者かわからなくなっているんだろうな

その感覚は、もしかすると「物語」の外から自分を眺めている視点なのかもしれません。

「物語」の役割を否定するわけでも、「物語」を壊すわけでも、もちろん自分を否定するわけでもない。

ただ、少しだけ「物語」との距離をとってみる。

その時に「物語」と自分は完全に同じものではなかったのかもしれないと静かに気が付くことがあります。

松果体という「内側」の象徴

ここまで「物語」の外に立つ感覚について触れてきました。

役割や肩書きから少し距離をとり、揺れている自分をそのまま見つめる静かな感覚。

私たちは、その感覚を象徴する言葉として「松果体」という名前を用いています。

松果体は、実際に私たちの脳の中に存在する小さな器官です。

そして古くから「内面や本質を見つめる目」の象徴としても語られてきました。

物語と少し距離をとり、静かに内側を見つめるこの感覚。

その目が働いている状態を、私たちは「開花」と呼んでいます。

それは特別な力を得ることではなく、もともと人間に備わっていた内側の感覚を静かに思い出すこと。

物語が揺らいだときこそ、その目は外側ではなく、内側へと向くのかもしれません。

空白は急いで埋めなくてもいい

「物語」が止まったとき、そこには空白が生まれます。

それまでは見えていた未来への線が見えなくなり、自分の立ち位置も曖昧になる。

その時間はとても落ち着かないものです。

だからこそ、私たちはつい新しい「物語」を探そうとします。

次の役割。

次の肩書き。

次の「自分らしさ」。

ですが、「物語」が止まっている時間そのものが間違いだとは限りません。

揺れている自分をすぐに整えようとしなくてもいい

答えを急いで見つけなくてもいい。

いまは、ただ「物語」の外に立っている時間なのかもしれません。

その静かな目が、内側に向いている。

いまはそれだけでも十分なのかもしれません。

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