「もっと自分らしく生きたい」
そんなことを考えたことはありませんか。
今の仕事は何か違う気がする。
もっと自分に合った生き方がある気がする。
自分らしい人生を送りたい。
一方で、そう願うほど、
「そもそも自分らしさって何だろう」
と分からなくなってしまうことがあります。
本当は自分らしく生きたい。
でも、その「自分らしさ」が分からない。
そんな状態です。
私たちは、自分らしさが足りないから迷うのでしょうか。
それとも、「自分らしさ」という言葉そのものが、私たちを迷わせているのでしょうか。
今回は、「自分らしさ」について少し立ち止まって考えてみたいと思います。
「自分らしさ」が分からなくなるのはなぜ?
「自分らしく生きること」が、新しい正解になっているから

「自分らしさ」が分からなくなる理由のひとつは、「自分らしく生きること」が理想として語られるようになったからです。
少し前までは、
「普通に生きること」
が一つの理想として語られることが多くありました。
良い学校へ進学する。
安定した会社へ就職する。
結婚して家庭を持つ。
そうした生き方が「普通」とされ、その普通に近づくことが安心につながる時代もありました。
一方で、今は少し違います。
「好きなことを仕事にしよう」
「自分らしく生きよう」
「自分だけの人生を歩もう」
そんな言葉を目にする機会が増えました。
以前よりも自由な時代になったと言えるでしょう。
ただ、その自由さが、ときに新しい迷いを生むこともあります。
普通になれなくて苦しかった時代。
そして今度は、自分らしくなれなくて苦しくなる時代。
理想の形は変わりました。
でも、「理想に近づかなければならない」という感覚は、今もどこかに残っているのではないでしょうか。
「自分らしさ」が分からないと、自分まで分からなくなってしまう
「自分らしさ」という言葉が難しいのは、それが生き方全体と結び付いているからです。
自分らしい仕事。
自分らしい人間関係。
自分らしい暮らし。
自分らしい人生。
こうして並べてみると、「自分らしさ」という言葉が、人生そのものを表すような大きな意味を持っていることが分かります。
だからこそ、自分らしさが分からなくなると、
「私は何をしたいのだろう」
「何が向いているのだろう」
「このままでいいのだろうか」
という問いも次々と生まれてきます。
そして気が付けば、「自分らしさが分からない」という悩みは、
「自分自身が分からない」という悩みへと変わっていくことがあります。
私たちは、何を「自分らしい」と感じているのだろう
自分らしさは、自分一人だけでは決まらない
ここで少し、不思議なことがあります。
私たちは普段、
「自分らしく生きたい」
とは言います。
でも、「自分らしい」という言葉は、
自分よりも他人から言われることの方が多いような気がしませんか。

「その笑い方、あなたらしいね」
「そういうところがあなたらしい」
「やっぱりあなたらしい選択をするね」
そんなふうに言われた経験がある人もいるでしょう。
反対に、自分では「これが自分らしい」と思っていたことが、周囲にはそう見えていなかったということもあります。
つまり、自分らしさとは、自分だけで決められるものでもなければ、他人だけが決めるものでもありません。
自分が感じている自分。
周囲から見えている自分。
その両方の中で、少しずつ形になっていくものとも考えられます。
だから、自分らしさに迷うこと自体は、決して不自然なことではないのです。
自分らしさは「説明」より「感覚」に近い
自分らしさは「こういう人間です」と言い切れるものではない
ここまで読むと、
「では、自分らしさとは何なのだろう」
という疑問が残るかもしれません。
私たちは、自分らしさを考えようとすると、自分を説明する言葉を探し始めます。
私はこういう性格です。
こういう仕事をしています。
これが趣味です。
こんなことが得意です。
もちろん、それらも自分を表す一部でしょう。
でも、それだけで「自分らしさ」を説明しきれるでしょうか。
例えば、仕事が変わったら、自分らしさも変わるのでしょうか。
趣味が変わったら、自分らしくなくなるのでしょうか。
年齢を重ねて性格が少し変わったら、それまでの自分は自分らしくなかったのでしょうか。
おそらく、そうではありません。
肩書きも、趣味も、得意なことも、自分を表す一つの要素ではあります。
でも、自分らしさそのものとは少し違うように思います。
自分らしさは「自然でいられる感覚」の中にある
では、自分らしさはどこにあるのでしょうか。
私たち松果体開花研究所は、自分らしさとは、
「自然でいられる感覚」の中に現れるものではないかと考えています。
例えば、
気を遣わずに話せる相手と一緒にいる時間。
一人で静かに散歩をしている時間。
好きな音楽を聴いている時間。
夢中になって何かに取り組んでいる時間。
そんなとき、人はあまり「自分らしくしよう」とは考えていません。
頑張って演じているわけでもありません。
「こう見られたい」と意識しているわけでもありません。
ただ、その時間を自然に過ごしています。
不思議なことに、周囲から
「そのときのあなたが一番あなたらしい」
と言われることがあるのも、こうした瞬間ではないでしょうか。
自分らしさとは、努力して作り上げる姿ではなく、力を入れなくても自然に現れている姿なのかもしれません。
「自分らしく生きよう」と頑張らなくてもいい
自分らしさは、少しずつ思い出していくもの
「自分らしく生きよう」
この言葉は、本来は私たちを励ますための言葉だったのでしょう。
でも、その言葉が、
「もっと自分らしくならなければ」
というプレッシャーに変わってしまうことがあります。
そうなると、自分らしさは「目指すもの」になってしまいます。
しかし、自分らしさは、本来もっと静かなものなのではないでしょうか。
大きく人生を変えた先にあるものでもなければ、誰かより優れた生き方でもありません。
少し安心できる時間。
少し肩の力を抜ける場所。
「これでいい」と思える小さな瞬間。
そうした日々の感覚の中に、少しずつ現れてくるものなのだと思います。
おわりに
自分らしさが分からなくなることは、決して珍しいことではありません。
それだけ、自分らしく生きたいと願っている人が多いということでもあります。
ただ、自分らしさは、誰かと比べて見つけるものでも、頑張って手に入れるものでもありません。
また、「私はこういう人間です」と、一言で説明できるものでもないでしょう。
人は環境によって表情を変えます。
役割も変わります。
大切にしたいものも少しずつ変わっていきます。
それでも、その変化の中で、
「この時間は落ち着く」
「この人といると自然でいられる」
「これは無理をしていない」
そんな感覚は、案外変わらずに残っていることがあります。
私たち松果体開花研究所は、その小さな感覚に目を向けることを、「松果体」という言葉で表現しています。
それは、新しい自分を作ることではありません。
誰かの理想に近づくことでもありません。
今の自分が、どんなときに自然でいられるのか。
その感覚を少しずつ思い出していくこと。
自分らしさとは、その積み重ねの中で、いつの間にか形になっていくものなのではないでしょうか。


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