「自分探し」というものをしたことはありますか?
本当の自分を見つけたい。
やりたいことを見つけたい。
自分らしく生きたい。
そんな思いから、試してみたことがある人もいるかもしれません。
しかし、私たちはこうした「自分探し」の果てに、本当に「自分」を見つけ出すことはできるのでしょうか。
「本当の自分」は、本当にどこかに存在しているのでしょうか。
今回は、なぜ「自分探し」が終わらないのか、そして「本当の自分」という考え方について、少し違う角度から考えてみたいと思います。
「本当の自分」が分からないのはなぜ?
本当の自分を「見つけるもの」だと思っているから
「本当の自分が分からない」と感じる理由。
それは、本当の自分を「見つけるもの」だと思っているからです。
本当の自分。
自分らしい生き方。
本当にやりたいこと。
そうしたものが、きっとどこかに存在しているはずだと感じることがあります。

例えば、
自分に向いている仕事があるはず。
もっと自分らしく生きられる場所があるはず。
まだ気づいていない才能があるはず。
そんな風に考えたことはないでしょうか。
もちろん、これ自体が悪いと言っているわけではありません。
新しい挑戦によって自分の可能性に気が付くこともあれば、環境を変えたことで人生が好転することもあります。
ただ、この考え方には、ひとつ知っておくべき特徴があります。
それは、「本当の自分」を「探し物」のように扱っているということです。
探し物は、どこかに必ず実物があります。
たとえばそれが財布や鍵であれば、見つければ終わりです。
しかし、本当の自分はどうでしょうか。
本当の自分も、財布や鍵のように、どこかに必ず存在しているものなのでしょうか。
そして、見つかったらそこで終わりになるものなのでしょうか。
私たちは、自分自身のことなのに、まるでどこか別の場所に「本当の自分」という答えがあるかのように考えてしまってはいないでしょうか。
だからこそ「自分探し」は終わらなくなる
本当の自分を「見つけるもの」だと考えると、自分探しは終わりにくくなります。
なぜなら、探しているものの正体が分からないからです。
転職をしたとしても、
「本当にやりたい仕事はもっと別にあるかもしれない」
と別の自分を追い求めることがあります。
新しい趣味を始めても、
「もっと自分に向いているものがあるかもしれない」
とまた別の自分を追い求めることがあります。
引っ越しをしても、環境を変えても、
「本当に自分らしい場所は別にあるかもしれない」
と思うことがあります。
もちろん、その選択が無意味だと言いたいわけではありません。
ただ、「本当の自分」は答えの決まっていない答えです。
それを追い求めることで、私たちはどこかで、あるいはどこまでも「これではないはずだ」という物足りなさを感じ続けてしまうことがあります。
だからこそ、自分探しというものは終わりません。
見つからないから探す。
探しても見つからないから、さらに探す。
もっと自分に合ったものがあるはずだと、探し続ける。
その繰り返しになってしまうのです。
私たちはなぜ「自分探し」を始めるのか
今の自分に違和感があるから
自分探しをはじめる理由の多くは、今の人生への違和感から始まります。
この仕事を続けていていいのだろうか。
この生き方でいいのだろうか。
毎日が同じことの繰り返しに感じる。
何かがしっくりこない。
そんな感覚です。
一見、周囲から見れば順調に見えるかもしれません。
でも、本人の中では説明しづらい違和感を抱えていることがあります。
むしろ、自分探しを始める人は、自分の人生を真面目に考えている人にこそ多いような気がします。
今のままでいいのか。
このまま歳を重ねていいのか。
そうやって立ち止まり、自分に問いかけるところから、自分探しが始まります。
「もっと自分らしい自分」がいる気がする
人生に違和感を抱えたとき、人は自然と想像します。
もっと向いている仕事があるかもしれない。
もっと居心地の良い場所があるかもしれない。
もっと自分らしく生きられる方法があるかもしれない。
そしてその先にあるはずの、
「本当の自分」
という存在を思い描くようになります。

今の自分はまだ仮の姿で、まだ本来の自分には出会えていない。
そんな感覚です。
実際、世の中の多くの物語もそうした構造を持っています。
主人公はまだ自分の力に気づいていない。
まだ本来の役割に気づいていない。
そして何かをきっかけに、本当の自分を見つけていく。
私たちは、そうした物語にたくさん触れながら生きています。
「どこかに本当の自分がいる」
という考え方も、もしかしたらそういった物語からもたらされたものかもしれません。
ただ、この考え方にはひとつ疑問もあります。
それは、「本当の自分は、本当にどこかで見つけられるものなのか」ということです。
本当の自分はどこかで「見つけられるもの」なのか
私たちは変わり続ける存在である
本当の自分を見つけることが難しい理由のひとつ。
それは、私たち自身が「変わり続ける存在である」ということです。
例えば、子どもの頃に好きだったものを思い出してみてください。
夢中になっていた遊び。
憧れていた職業。
大切だと思っていたもの。
今も同じでしょうか。
おそらく、その頃とは違う部分も多いかと思います。
10年前の自分と今の自分もきっと違うでしょう。
もしかすると昨年の自分と今の自分も違うかもしれません。
好きなものも変われば、苦手なものも変わる。
大切にしたいものも変われば、人との関わり方も変わる。
私たちは生きながら少しずつ変化しています。
もし「本当の自分」が形が決まっている存在であるなら、この変化はどう考えればいいのでしょうか。
子どもの頃の自分は「本当の自分」ではなかったのでしょうか。
10年前の自分も「本当の自分」ではなかったのでしょうか。
あるいは、今の自分だけが「本当の自分」なのでしょうか。
私たちは、つい「本当の自分」を、どこかで見つけられると考えがちです。
あるいは、いつか「本当の自分」という完成品にたどり着けると思いがちです。
ただ、「本当の自分」というのは、確固たる完成形があるものではありません。
その時々の選択や経験を通して「変わり続ける存在」なのです。
昔の自分も、今の自分も、本当の自分だった
私たちは過去を振り返ったとき、
「あの頃は本当の自分じゃなかった」
と思うことがあります。
本当はやりたくなかった仕事。
無理をして合わせていた人間関係。
失敗した選択。
遠回りだったと思う経験。
そうしたものを思い返して「あれは間違いだった」と思いたくなることがあります。
もちろん、本当に合わなかったものもあるでしょう。
もう二度と戻りたくない時期、そんなものもあるかもしれません。
ただ、その時の自分には、「その時の自分」である理由があったはずです。
どんな理由であれ、当時はそうあることが最善だった。
その時の自分なりに悩み、その時の自分なりに選択をしていた。
今だからこそ別の選択肢が見えているだけで、当時の自分は、決して偽物の自分だったわけではありません。
むしろ、その経験があったからこそ、今の自分があるとも言えます。

失敗だと思っていた経験が、後になって役立つこともあります。
遠回りだと思っていた道が、自分にとって必要な時間だったと気づくこともあります。
昔の自分も、今の自分も、その時々を生きていた「本当の自分」だった。
そう考えてみると、自分探しの景色も少しずつ変わって見えてきます。
「見つける」より「選ぶ」のかもしれない
私たちは日々、たくさんの選択をしています。
何を学ぶか。
誰と関わるか。
どんな働き方をするか。
休日をどう過ごすか。
小さなものも含めれば、毎日のように選択を繰り返しています。
そして、その積み重ねが今の自分を作っています。
もちろん、すべてを自由に選べるわけではありませんし、環境や状況に左右されることもあります。
それでも、その中で「何を選ぶか」は私たち自身に委ねられている部分があります。
そう考えると、自分とは「見つけるもの」というより、
「選ぶことで少しずつ形になっていくもの」と捉えることができます。
正解の自分が先に存在しているのではなく、選び続けた結果として自分が形作られていく、そんな見方です。
自分探しが苦しくなるのはなぜだろう
正解の自分を探し始めるから
自分探しが苦しくなる理由のひとつは、「正解の自分」を求めてしまうことにあります。
本当の自分がどこかにいる。
そして、それさえ見つければ迷わなくなる。
そういった考え方ですが、この考え方にはひとつ問題が隠れています。
それは、常に今の自分が不完全であると認識してしまうことです。
まだ見つかっていない。
まだ足りない。
まだ本物ではない。
そんな感覚が生まれやすくなります。
すると、今ここにいる自分よりも、いつか見ぬ「理想の自分」の方が大切になってしまいます。
本当の自分を探しているはずなのに、いつの間にか今の自分を否定することに繋がってしまうのです。
今の自分を否定し続けてしまうから
もっと向いている仕事があるはず。
もっと自分らしい人生があるはず。
もっと正しい選択肢があるはず。
もちろん、新しい可能性を探すことは悪いことではありません。
ただ、今の自分を否定することと、自分を成長させることはイコールではありません。
今の自分を否定して理想だけを追い続けると、どこまで行っても満足できなくなることがあります。
なぜなら、理想の自分は常に少し先にいるからです。
今の自分は自分ではない。
理想の自分も、もちろんまだ自分ではない。
そして、理想の自分は、常に自分の先にいる。
そうなると、「自分」という存在はどこにもいなくなってしまいます。
自分探しが苦しくなるのは、自分を知ろうとしているからではありません。
苦しくなる理由は、今の自分を置き去りにして理想の自分を追い求めてしまうことにあります。
自分探しの代わりにできること
「今の自分」が何を感じているのかを知る
ここまで読むと、
「じゃあ自分探しは意味がないってこと?」
と思うかもしれませんが、私はそうは考えていません。
ただ、「自分探し」の方向が少し違うのかもしれないと思うのです。
私たちは、自分について考え始めると、つい「答え」を探そうとします。
本当にやりたいことは何だろう。
自分に向いている仕事は何だろう。
本当の自分とは何だろう。
そして、その答えさえ見つかれば安心できるような気がします。
しかし実際には必ずしもそうとは限りません。
答えが見つかったと思っても、時が経つとまた迷いはじめることがあります。
価値観が、環境が、そして何より自分自身が変わっていくからです。
そう考えると、「本当の自分」を探すことは、完成された答えを見つけることとは少し違う可能性があります。
自分の中にある完成された答えを発掘することではなく、今の自分が何を感じているのかを知ること。
その方が、実際の私たちには合っているような気がします。
自分探しより、自分の感覚に気づく
例えば、
今日は何が楽しかっただろう。
何に違和感を覚えただろう。
誰といると自然体でいられただろう。
何をしている時に少し心が軽くなっただろう。
そんなことです。

すぐに人生を変えるような答えではありません。
また将来を決定づけるような発見でもありません。
でも、そうした小さな感覚こそが、自分自身を知る手がかりになることがあります。
私たちは「本当の自分」を探そうとすると、つい遠くを見てしまいます。
まだ見ぬ才能。
まだ見ぬ仕事。
まだ見ぬ人生。
しかし、自分の感覚はいつも今ここにあります。
楽しい。
苦しい。
安心する。
落ち着かない。
好き。
苦手。
こうした感覚は、常に私たちの中に存在しています。
だから、自分を知るということは、どこか遠くへ探しに行くことではなく、今の自分が発している小さな声に気づくことなのかもしれません。
私たちが「松果体」という言葉で表現しているもの
何が好きで、
何が苦しくて、
何を大切にしたいと思っているのか。
そうした感覚に少しずつ気づいていくこと。
余談にはなりますが、私たち松果体開花研究所は、この感覚を象徴する言葉として「松果体」という名前を使っています。
外側に正解を探し続けるのではなく、自分の内側にある感覚へ意識を向けること。
本当の自分を探し続けることよりも、今の自分が何を感じているのかに気づくこと。
それが結果として、自分自身との距離を縮めていくのではないかと考えています。
おわりに
本当の自分は、どこかに隠れている完成品とは限りません。
探せば見つかる宝物というわけでもありません。
私たちは変わり続けます。
選び続けます。
迷い続けます。
だからこそ、「これが本当の自分だ」と言い切ることは難しいのです。
ただ、自分が見つかっていなくても、自分が何を感じているのかに目を向けることはできます。
今日何を楽しいと思ったのか。
何に心が動いたのか。
何に違和感を覚えたのか。
そうした小さな感覚は、今この瞬間にも確かに存在しています。
本当の自分は、いつか見つかる確固たるゴールのようなものではなく、こうした感覚や選択の積み重ねの中で少しずつ形になっていくものなのかもしれません。
もし今、自分探しに疲れているのだとしたら、少しだけ探すことを休んで、今の自分が何を感じているのかに耳を傾けてみるのも良いかも知れません。


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